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【知られざる名作】長年の夢に挫折したり、成就しそうもない片想いに囚われたり……それでも彼らは一歩ずつ、新たな道に向かって歩み始める。連作短編形式で、大学生たちの青春の屈託を優しく、そして少しビターに描いた、やまむらはじめ先生による群像劇の名作『夢のアトサキ』

 

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やまむらはじめ『夢のアトサキ』(少年画報社)より

大学生――それは特殊な環境に身を置く時期だと思います。高校生までのように受験勉強に追われるわけではなく、社会人のように仕事で心身をすり減らすわけでもない、多くの人にとっては人生最初で最後のモラトリアムの季節。自分の目標に向かって邁進する人もいれば、やりたいことを見つけられずに無為な時間を過ごしていく人もいる。そんな大学生たちの青春を、ひとりの主人公にこだわらず「群像劇」の形式で描く作品には、古今東西、名作が多いですよね。

 

本日ご紹介するのは、アニメ化された『神様ドォルズ』や、現在連載中の『漆黒のジギィ』など、多くの作品で知られるベテラン作家・やまむらはじめ先生の2007年の作品『夢のアトサキ』少年画報社、全1巻)。大学生たちの挫折や屈託を優しく……そして少しビターに描いた、青春群像劇の名作です。

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やまむらはじめ『夢のアトサキ』(少年画報社)より

乙部 也寸志は大学一年生。高校時代は画家を目指していましたが、美大受験に失敗し地方の私大に流れ着くと、絵を描くのをすっかりやめてしまいました。大学ではちゃんとした「美術部」ではなく、ダラダラ目的の「研究会」に籍を置き、部室で麻雀卓を囲んで時間を浪費する日々。

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やまむらはじめ『夢のアトサキ』(少年画報社)より

也寸志には高校時代から付き合っている恋人・葛原 阿耶がいます。チェリストを志す彼女は東京の音大に受かり、二人は遠距離恋愛中……ですが、阿耶は也寸志のメール(当時はLINEなんかもまだない時期ですね)にも5回に1回ぐらいしか返信しないなど、その容姿通りのクールな性格。自分自身を見限ってしまった也寸志は、阿耶との関係を続けていく自信もなくなってきてしまいます。

 

そんな中、也寸志は研究会の仲間のツテで、昔からファンだったプロのイラストレーター・湯浅 信昭の仕事場を見学できることになりました。憧れのプロから実物の作品を見せてもらった也寸志の心に、一年近くともらなかった火がともります。

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やまむらはじめ『夢のアトサキ』(少年画報社)より

帰り道、もはや日付も変わろうかという時間……也寸志は自分のスクーターに飛び乗ると、(スクーターは高速道路に乗れないので)下道で8時間かけて阿耶が住む東京の部屋へと向かったのです。自分の魂が再起動したことを、一番最初に伝えるために。

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やまむらはじめ『夢のアトサキ』(少年画報社)より

オトナになってしまうと、ついつい「いやあんちゃん、彼女さんに何か言いに行くにしてもやな、わざわざスクーターなんぞで行かんでも、始発が動くのを待って朝イチで東京まで行ったらええ話やがな」などと冷めた口をきいてしまいそうになります。しかし違うんだ! ここで居ても立ってもいられず体が動き出してしまうのが青春なんだよ! と筆者は声を大にして言いたいと思います。これこそが青春漫画の王道なんですよ!

 

さて、ここまでのストーリーは全7話の物語のうち、第1話の途中までにしかすぎません。『夢のアトサキ』は、連作短編形式で紡がれていく群像劇です。このあと、『夢のアトサキ』では、也寸志と阿耶の物語を主軸にしながら、さまざまな学生たちのストーリーが描かれていきます。

 

也寸志の高校時代からの同級生で、靭帯を切ってバスケを引退した平嗣

そんな平嗣が想いを寄せる、どう見ても中学生にしか見えない先輩・都緒里

也寸志に恋人がいることを知らないまま、也寸志を好きになってしまった緋塚

要領がよく、何でもソツなくこなしてしまうプレイボーイの箕島

箕島と付き合っていながら、どうしても不安に囚われてしまう亜紀良

都緒里の同級生で、普段は研究室に閉じこもってばかりいる才女・瑞季

……等々、たくさんの大学生たちが、悩んだり、人を好きになったり、泣いたり、妬んだり、お酒を飲んだりと動き回るのです。

 

こうして書き出してみると、「一冊の短編集の中でよくこんなに色んな内容が描けるなあ!」と思ってしまうのですが、読んでいる時には「詰め込んでいる感」は全く感じられません。ごく自然な描写、ごく自然な台詞でこれだけの厚みを持ったストーリーを積み重ねることができるというのは、プロの漫画家さんによる卓越した技術に他ならないと思います。なにげない台詞のひとつひとつが練られていて、過不足なく状況を描写しているということが、読めばわかるはずです。

 

そして、連作の終盤では、也寸志と阿耶の関係にある「転機」が訪れます。その転機に立ち向かうため、也寸志はある行動をとるのですが……もしかすると人によっては、ピンと来ない選択だと思うかもしれません。しかし、筆者は個人的には、也寸志がこの行動を取るのはとてもよく理解できるし、めちゃくちゃ応援したくなってしまうのです。

 

大学生活という、人生で(たぶん)一度きりの特別な時間。その特別な時間が持つ輝きをうまく切り取り、一冊の連作短編集にまとめた傑作が本書です。2007年の刊行からもう10年以上経ちますが、今読み返してもその輝きが褪せることはありません。自信を持ってお薦めします。『夢のアトサキ』、是非読んでみてください。