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【知られざる名作】”狩猟系YouTuber”として生計を立てている千秋は、性同一性障害の苦しみを抱えて生きていた……ある父子の葛藤と和解を描き「少年ジャンプ+」で大きな反響を呼んだ表題作と、その後日譚が収録された『遠田おと短編集 にくをはぐ』は、今この世界に必要な一冊

 

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『遠田おと短編集 にくをはぐ』(集英社)より

集英社の漫画アプリ「少年ジャンプ+」は、『SPY×FAMILY』や『怪獣8号』といった連載作品が人気を博す一方で、読切漫画の意欲作が多く掲載されているという特徴も持っています。編集長のインタビュー記事↓によれば、年間150作〜170作もの読切が掲載されているとのこと。(原稿料として年間4000万円以上のコストがかかっている計算になるので、それだけ読切漫画への熱意がある媒体ということだと思います)

alu.jp

 

omosiro-manga.hatenablog.com

当ブログでも、「2020年にジャンプ+に掲載された良作読切」のまとめ記事↑を掲載したことがありますので是非ご参照いただけたら嬉しいのですが、本日ご紹介する『遠田おと短編集 にくをはぐ』の表題作である読切「にくをはぐ」は、このまとめ記事の対象範囲の少し前、2019年12月に「少年ジャンプ+」に掲載された作品です。掲載時にネットで大反響を呼んだこの作品を含む、短編集全体について本日はご紹介していきます。

 

 

※読切作品「にくをはぐ」はこちら↓から読むことができます。

shonenjumpplus.com

 

 

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『遠田おと短編集 にくをはぐ』(集英社)より

小川 千秋は、父親が猟銃で狩ってきた動物を受け取り、山小屋で解体していく様子を配信している、26歳のYouTuber。わざと身体のラインを強調するような服を着て動画を配信すると、視聴者から下品なコメントや”投げ銭”が送られます。

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『遠田おと短編集 にくをはぐ』(集英社)より

身体は女性ですが、心は男性である千秋。医師からは、タイに行ってSRS(性別適合手術)を受けるよう勧められますが、「父親に悲しんでほしくない」という気持ちから、決断できずにいました。

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『遠田おと短編集 にくをはぐ』(集英社)より

子供の頃に母親を亡くした千秋にとって、唯一の肉親である父。千秋はそんな父と一緒に狩猟をしたいと願っていますが、千秋に”女性としての幸せ”を願う父はそれを許していません。

 

母親が亡くなった時、千秋に遺した遺言は「立派なお嫁さんになってね」。千秋の父は、その最後の願いを叶えたいという一心で、「父さんみたいにカッコいい男になって狩猟をしたい」という千秋の気持ちに応えようとはしませんでした。

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『遠田おと短編集 にくをはぐ』(集英社)より

そんなある日、千秋は父親から大腸がんになったと告げられます。このままでは余命はもって一年。しかし、抗がん剤治療はせず緩和ケアのみにすると言います。千秋は父親に延命治療を受けてもらうため、幼なじみの高藤に協力してもらい「自分も結婚する(相手は高藤)ので抗がん剤治療を受けてほしい」と迫るのですが……。

 

 

『遠田おと短編集 にくをはぐ』の巻末に収録されている、遠田おと先生ともちぎ先生との対談でも触れられているように、一言でトランスジェンダーと言っても、一作の漫画ですべての人のアイデンティティをフォローできるわけではありません。本作はあくまでも「小川千秋の場合」として、「身体と心の性のズレ」そして「父と子の関係」の二つのテーマを描いた作品だと言えます。

 

登場人物それぞれの「思い」、そして「置かれた状況」が非常に丁寧に描写されていくので、終盤で千秋、父、そして高藤の三人が思いをぶつけ合うシーンの説得力がいささかも減耗しない、素晴らしい読切作品です。実は80ページ以上のボリュームがあるのですが、読んでいて「長い」と感じる人はいないのではないでしょうか? 複雑で難しいテーマですが、演出とセリフの力でスムーズに読むことができるのです。

 

短編集全体を見ると、「恋するダビデ」「2ページ漫画集」のようなコメディに振り切った作品もありますが、それ以外の「熱い西瓜」「自担をマジで愛してる」そして「にくをはぐ 後日談」の3作品は、「にくをはぐ」と同様に”親子の関係”を強く意識した作品になっていると思います。「愛」であり、そして同時に「呪縛」でもあるような親から子への思い。それをいかにして人生を前に進めるエネルギーに変えていくか……一冊の短編集の中にそのようなテーマが通底しているような気がします。

 

これは筆者の感覚なので、もしかしたら間違っているかもしれませんが、基本的に集英社から「漫画の短編集」が出ることはあまりなく、あったとしてもかなり遅いというイメージがあります。『鬼滅の刃吾峠呼世晴先生の短編集も2019年まで出ませんでしたし、『チェンソーマン』藤本タツキ先生や『地獄楽』賀来ゆうじ先生のように、珠玉の作品を何本も発表していながら未だに短編集が出ていない作家さんも多くおられます(ジャンプ+上で読むことはできるのですが…)。

 

そんな中で、まだ集英社で連載を持つ前に、遠田おと先生の短編集が神速で発売されたのは、『にくをはぐ』に収められた作品が時代状況と密接にリンクした作品だからではないでしょうか。5年後、10年後に読むのではもう遅いかもしれません。まさに今こそ読まれて欲しい作品集です。

 

 

 

ところで「にくをはぐ」を読んだ方は大体「高藤、いいやつやん!」って思いますよね。彼のその後、気になりますよね。短編集に収められた「にくをはぐ 後日談」でしっかり描かれていますよ! 「後日談」の主役は高藤と言っていいぐらいかもしれません。高藤が好きな人こそ、ぜひ短編集を買って「後日談」をチェックしてほしいです。