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【今週のPowerPush】他人の人生を演じる重圧から、酒に溺れ、奇行に走った……全てを失った俳優は、未来を取り戻せるのか。短編の名手が3年ぶりに放つ唯一無二の世界『売野機子短篇劇場』は必読だ!

 

 

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売野機子売野機子短篇劇場』(KADOKAWA)より

2009年、白泉社が新しい漫画雑誌『楽園 Le Paradis』を創刊した時、多くの漫画ファンは驚きました。錚々たる作家陣がひしめく中、商業誌に掲載された経験のない、ある新人作家の作品が2作も掲載され、そしてどちらも類まれな傑作だったからです。

その作家の名は、売野機子コミティアで発表した作品「晴田の犯行」が参加者による人気投票で1位を獲得し、それを読んで「10年に1度の才能」と感じた白泉社の担当編集者によってスカウトされたと言われています。

 

 

参考記事: https://natalie.mu/comic/news/28789(コミックナタリー・2010年3月9日付)

 

創刊号以降も、売野先生は『楽園』誌で短編作品を発表し続け、その作品群は『薔薇だって書けるよ』『同窓生代行』『しあわせになりたい』という珠玉の短編集3冊にまとまることとなりました。

 

薔薇だって書けるよ―売野機子作品集

薔薇だって書けるよ―売野機子作品集

  • 作者:売野 機子
  • 発売日: 2010/03/26
  • メディア: コミック
 

 

 

 

 

 

 

売野先生は、80年代〜90年代を中心に一世を風靡した少女漫画雑誌『ぶ〜け』を思わせるような、恋愛における複雑な心情をすくいとる繊細さと、的確な言葉選びで読者の胸を突く鋭いモノローグが特徴的です。しかし、繊細さと鋭さを兼ね備えながらも、根底に流れているのは人間を信じ、愛を信じようとするあたたかいヒューマニズムだと感じられます。

 

おそらく、売野機子作品のどこか1ページを切り取って見せても、他の作家の作品と間違える人はいないでしょう。独特の絵柄、モノローグ、そして作品全体の雰囲気。どれをとっても唯一無二の世界を確立しているのが売野機子作品なのです。

 

さて、売野先生は2013年頃から、次第に長編作品に軸足を移していくようになります。

“天使の歌声”を持つ、神に選ばれた若き天才たちが集う寄宿学校。そこに暮らす少年たちの愛と嫉妬、そして生と死を描いた『MAMA』(新潮社、全6巻)。

 

MAMA 1巻 (バンチコミックス)

MAMA 1巻 (バンチコミックス)

 

 

恋愛をすることが時代遅れと考えられるようになった2034年の日本で、ある「非-恋愛コミューン」において発生した大量殺人事件。その真相に迫る女性記者たちを描いたルポルタージュ幻冬舎講談社、各3巻ずつ)。

 

ルポルタージュ  (1) (バーズコミックス)

ルポルタージュ (1) (バーズコミックス)

  • 作者:売野 機子
  • 発売日: 2017/06/24
  • メディア: コミック
 

 

 

 

どちらの作品も、インパクトの強い世界設定の中で、キャラクター達の感情を深く掘り下げていく傑作でした。

 

そして、この2020年9月。売野先生にとっては3年ぶりとなる、ファン待望の短編集が発売されました。その名も売野機子短篇劇場』!KADOKAWA、全1巻) 長編作品とはまた違い、数ページ〜数十ページで完結する短い世界の中で、売野先生の豊かな才能を見せつける一冊となっています。

 

ここでは『売野機子短篇劇場』の中から、「まりすの聖なる墓荒らし」という、2020年5月に発表された作品をご紹介します。

主人公のツカサは、29歳の俳優。子役でデビューした彼は、今や大河ドラマなどにも出演するような人気俳優になっていました。しかし……

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売野機子売野機子短篇劇場』(KADOKAWA)より

数えきれないほどの人生を演じる中で、演じた役柄がいつまでも自分から離れていかず、次第に不眠症に苦しみ、酒に溺れるようになります。徐々に正気を失っていったツカサは、全裸で街に飛び出すなどの奇行が報じられるようになり、映画やドラマからことごとく降板、所属事務所からも契約を解除されてしまいます。

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売野機子売野機子短篇劇場』(KADOKAWA)より

マンションにも住めなくなったツカサ。街を歩くと、人々が自分を悪く言っている声が聞こえてきます。「あんなかっこいいのにね」「顔がなかったら空っぽなんだな」。

俳優ではなくなったことで、演じた役柄にまとわりつかれることもなくなりました。ただひとり、デビュー作で演じた少年・磨莉寿(まりす)を除いては。

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売野機子売野機子短篇劇場』(KADOKAWA)より

ツカサは、今年制作される続編で、大人になった磨莉寿を再び演じる予定になっていました。しかしその役も、既に代役の俳優が決定しています。

毎晩、枕元に立つ磨莉寿にツカサは言います。「おまえを成仏させてやれなくてごめんなぁ」……。全てを失ったツカサは、磨莉寿を「成仏」させて、第二の人生を歩んでいくことができるのか――。物語の続きは、『売野機子短篇劇場』でお確かめください。(電子版もいいですが、カバーの装丁がとても美しいので、是非紙でもお買い上げいただきたい一冊です!)

 

 

売野機子短篇劇場 (ビームコミックス)

売野機子短篇劇場 (ビームコミックス)

 

 

全くの余談になりますが、Eテレで放送されている『シュガー&シュガー』という番組で、サカナクションの山口一郎さんが、妻夫木聡さんや橋本環奈さんといったゲスト俳優さんと、お酒を飲みながら対談するコーナーがあります。その中で、妻夫木さんや橋本さんが「役に入り込んでいる間は、自宅などでの感情表現も変化してしまう」「役柄について、画面には映らないその人の人生も全て引き受けなければいけない」「撮影が終わっても、すぐに次の作品には切り替えられない」という発言をされていたのが印象的でした。俳優のお仕事は、単に撮影所の中だけで終わるわけではない、本当に大変なお仕事だと思います。役者さんたちの心のケアがしっかりなされることを願います。